Kyoto City University Of Art annual exhibition 2020

Kana Shimizu 清水 花菜 構想設計

美術科構想設計専攻4年生の清水 花菜(しみず・かな)さんに、感染症対策に留意して直接お話を伺いました。

作品について

普段はどのような制作をされていますか。

写真を撮ってます。あとは企画を立てたりとか、人と展示を作ったりなどしていました。
写真を使用した作品を作るときは、写真を撮るという行為が持ってる意味や、写真というメディアが持っている記憶性や記録性に気を配りながら制作できたらいいなと思っています。

写真を使って制作するに至ったきっかけが気になります。

写真は小さい時から撮っていて。小学校6年生のときには、空を飛ぶトンビを写真で撮ってる自分のイメージがふっと浮かんで(笑)、それで思い立って写真部を作ったりしてました。そのときの顧問の先生に教えてもらった構えが、今の私の構えのままだったりします。
そのあとはそんなに、写真については凝ったことはしてなくって。iPhoneで撮るくらいでした。

大学1年生の「総基礎」(総合基礎実技の略。京都市立芸術大学特有の実技カリキュラムで、1年次前期の半年間にわたって、学生教員共に専攻に関わらず混成された状態で様々な課題を行う。)の課題で、「自分の大事な道具を作る」っていうのがあって、そのときの先生との会話の中で小さい頃に写真撮ってたことを思い出して、写真で制作したらいいやん!って思って。そっからウエディングフォトの仕事をするようになって、カメラの操作覚えて、大学の先輩とかが優しくて、撮った写真褒めてくれたりして、そういうことが重なって、続けていますね。

じゃあ本当に大学に入ってから、本格的に写真での制作を始めたんですね。

最初は、手作業が好きだから工芸科に入ったんですけど、そこで手作業の大事さとか素材に注目する良さを学びました。でもその時期に、写真で制作したい気持ちが生まれたり、学びたい場所はここじゃないかもな、と思って。構想に入ったらまた違う扉があると思ったので、転科しました。

《gaze after somebody》2020年

これ作るぞ~って思って出来るまでの間って、写真の場合どんな順番で作っていくんでしょうか。

ひえ~!作るものや、制作のやり方によっても変わるのですが、去年の作品展で展示した《gaze after somebody》(上図)は、「後ろ姿、撮りたい!」ってイメージが浮かんだ日があって。そこから「なんで後ろ姿を撮りたいって思ったんやろう?」って考える時間の方が長かったですね。

清水さんは、テーマみたいなものが先に合ってそれに合わせて作っていくっていうより、こういうビジュアルの物が作りたい、っていうのが最初にあって、それからじゃあ何でそう思ったんだ?っていうことを考えることの方が多い?

そう。ただ、考えるというより、星座みたいに繋げていく方に近くて。
やっぱり自分の関心事に近いイメージが浮かんできているんだけど、それは視覚的にすぐにわかるものじゃなくて。(その中に)普段考えてることやったり、いままで生きてきて思い込んできたことが星みたいにちらばっているので、その点をつなげて星座をつくるように作品を作っています。

例えば《gaze after somebody》だったら、どのような関心事と結びついていったんでしょう?

ひとつひとつバラバラとしているんですけど、「友達の後ろ姿で誰だかわかるな」「後ろ姿に対しての親しみってなんなんやろ」「自分の後ろ姿って見ることできひんけど写真やったら見ることできるな」みたいなことから、「自分が過去に後悔してることがたくさんある」とか、「ならなかった自分がいたりするな」っていう風に話が飛んで行ったとき、自分の後ろに、過去の自分が立っているような気がして。

過去を振りかえるときって、思い出すたびに感情が増幅して振り返ることすら怖くなったり、本当に起きたことがわからなくなるように感じることがあって。自分の後ろ姿を写真に撮ることで、すこしだけ、その過去の自分が怖くなくなるんじゃないか、って思ったんです。
《gaze after somebody》は『後ろ姿を見送る』っていう意味があって、過去を見送れたらいいなと思ってそういう題にしてました。

(図を書きながら)今の自分はここ(左の黒丸)に居て、私の後ろにはいままでの分岐点がたくさんあって、で、ここの過去に自分が行けたらいいなみたいな。

清水さんが書いてくれた図

技術について

これまでは意味的なことを聞いていきましたが、技術的なこと、撮影の段階でのお話を聞いてみたいです。

普段、人を撮るときは、よく言われることではあるけど写真用の顔じゃない、その人自身の写真が撮れたらいいな、って思ってますね。あとそういう自分でいいなと思う写真が撮れたときは、シャッター切ったときの自分の息遣いや、息を止める瞬間とかを覚えてたりします。
昔剣道をやっていて、そのときに聞いた話なんですけど、竹刀の切っ先を合わせてるとき、相手が撃つ瞬間がわかるらしくて、やってた時は全然わからなかったんですけど、写真撮ってる時にこういう感覚やったんかなって思うようなときがあります。

自分を撮るときはこの感覚とはちょっと違って、役になってるけど、俳優さん自身がその役の人にしか見えないときってあるじゃないですか。それに近いものなのかしらって思いました。演じずに演じるみたいな。撮られているし撮っている自分が、重なってる、自分の中で像が合うみたいな感じでしたね。

《gaze after somebody》 2020年

前期について

前期の間って、構想設計専攻全体はどんな感じでした?

構想設計は基本、学校に来る人と来ない人の差がすごくて、(例年も)制作展の時に初めて「こんな人いたんや!」って思うこともままあるような感じで。

前期の間は自宅でも構想設計専攻の機材を借りることができたので、家で制作をしていました。写真制作では積極的に外に出て行ったりはできなかったんですけど、違うやり方を試してみたり、家で制作できる違うメディアを試してみたりなどをしていました。同じゼミの人は、もともとデジタルで絵を描いたのを、動画に発展させたりだとか、それぞれこの時期にできる制作を選択していたように思います。

その中で前期はどんな作品を作っていましたか?

時間の伸び縮みがすごい変な期間で。最初のほうは対面じゃないと写真も撮れへんしどうしようかなって思ってたんですけど、京芸を卒業した東京の友達と、オンラインで写真撮ってみようってなったんです。

その友達がパソコンでシャッターが切れるカメラを持っていて、私が東京にあるカメラの位置を画面見ながら指定して、京都からそのカメラがつながってるパソコンを遠隔操作してシャッター押す、っていうのをやって。隔たりを感じるし、ラグが絶対あるんですけど、音声通話しながら、ラグでギザついてる画面を見ながら撮るのがすごく楽しかったですね。

《ヒカワヒカル リモート撮影》2020年

コロナ禍ということで、制作をする上で縛りができて、いつも考えないようなことは考えたりできたと思います。俳句とか川柳みたいに形が決まってる(状態)だから、良い感じで視野が狭くなってるところもあって、いつもと違う方法で能動的に制作を変化させたりできたかなと思います。

遠隔の写真もですけど、絵描いてみたりとか、編み物をやったり。小さなころからやってた作ることを振り返ったりすることが多かった。写真も元はそうやし。なんで美術に結びつけへんかったんやろとか思いました。

それを今から結び付けようとおもったりは?

しますね。そういったことたちを思い返すと、あっこれも制作で使えるな、これもしてもいいんやな、って感じで。いままで、自分の中にかけてた呪いとかくくりみたいなのが勝手にあって、学生やから失敗してもいいのに、私、お行儀良くしちゃってるなって思いました。

構想設計の非常勤講師の方が「なんで学生の時もっとのびのびして作らへんかったんやろ」って仰ってたのが忘れられへんくて。その先生が言っている過去に今の私は居るんやから、のびのび、失敗してもいいからいろいろやってみようと思っています。

卒業制作や、これからについて考えていることはありますか?

今年の作品展で展示する卒業制作では区切りとして、昨年の《gaze after somebody》の続きとなるような作品を出そうかなと思っています。院に進むので、まだ学生生活が続いていくんですけど、写真だけにとらわれることなく、自分が見逃していたようないろんなメディアを使って、もうちょっとのびのびと、自分が今までしていたものを拾い上げるような作品を作って行けたらいいなと思っています。

ありがとうございました!

インタビュアー:土屋 咲瑛

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