Kyoto City University Of Art annual exhibition 2020

Ruka Takemoto 武本瑠香 油画

美術科油画専攻4年生の武本 瑠香(たけもと・るか)さんに、実際に武本さんの制作室にて、換気などに十分に留意して直接お話を伺いました。

武本さんは、アイドルグループ「嵐」を制作の題材として扱うことが多く、また、粘土をあつかった作品が多いことも特徴のひとつです。キャンバスやマネキンに油粘土を貼り付けたり、スタイロフォーム(主に断熱材として使われる青く丈夫な発泡ポリスチレン)に紙粘土を貼り付けた上から、油絵具で絵を描いている作品も見受けられます。

同専攻・同学年・同郷のインタビュアーならではのやりとりをお楽しみください。

制作について

制作において一貫している素材やテーマなどあれば聞かせてください。

うちの研究室が「なぜお前はキャンバスに描くんだ」っていうことを常に問い続けてくるところで。なんでやろって思った時、私が物を見てるとき、自分が受け取るイメージが平面的やからかなって思って。
嵐見てる時も、ほとんどが画面で見てる。そしたらコンサートで立体の嵐を見たとしても、それはもう、立体の人間というよりは、平面的なイメージとして受け取っているから、それを作品として出すとしたら、私は平面を選ぶ。

でも、ただの平面でなくボコボコした粘土とかを使うのは、立体の人間が(他人に受け取られるにあたって)平面に押し付けられるっていうのと、絵具や粘土をぎゅっと押し付けて塗りつける、その感覚がいっしょやから、そういう技法を選んでる。

《Stand by me #1》《Stand by me #2》スタイロフォーム、紙粘土、ベニヤ、油彩 2020年

2020年前期の制作の話

今はスタイロフォームに紙粘土を押し付けて、その上から油絵の具を塗っていくっていう方法が多い?

そうやね。(その技法を見つけたのは)2020年の前期に、緊急事態宣言になって何しようかなって思った時で。
ちょうどそのときキリスト教絵画とかを勉強してて、キリスト教徒の人が平面のイコン(聖像)のキリストに頼る気持ちっていうのが、私が悲しい時とか辛い時に画面上の嵐に頼る気持ちと同じなんじゃないかと思って。結果ちょっと違うかってんけど。

そのときに、宗教絵画に使われてた技法、テンペラ画やフレスコ画をやってみようと思ったんよ。でも家でフレスコ画(漆喰を塗った生乾きの壁に顔料を水で溶いたもので絵を描き、漆喰の乾燥とともに定着する技法)をしようと思っても、そのとき出かけられる場所がマジで近所の百均くらいしかなかったから、手に入るのが百均の漆喰しかなくて。

百均に漆喰売ってるんや。

そうやねん。フレスコ画って塗った漆喰が乾くまでに絵を描かなあかんねんけど、百均の漆喰ってすぐ乾くのね。何とかできたけど大変で…。それで代用品を探してて、あの、百均に濡れたら戻るタオルってあるやん。

最初タブレットみたいになってて、水に浸したら広がるやつね。

それをバーッて広げて、そこに紙粘土を貼り付けて、乾いたら、板になったんよ。

え!?どういうこと?

これとかやねんけど。

《松本潤の肖像 #4》圧縮タオル、紙粘土、エッグテンペラ 2020年

そっか、タオルやけどけっこう紙ナプキンに近いような質感なんや。濡らして乾くとまた固くなるのが漆喰に近いように思ったんかな。

そうそう。そのタオルと紙粘土の板に粘土や絵の具を押し付ける感覚がすごい気に入って。でも大きい作品を作りたいときとかに現実的じゃないから、(発展形として)スタイロフォームを選んで。ちょっとぼこぼこしてくれるからタオルと同じように(紙粘土とか絵の具を)吸ってくれるやろう、と思って試してみたら大当たりで。
あと、置き方とかスタイロフォームの厚みで、絵ともいえるし立体にもなりそうな、平面と言い切れへん感じ、を出せるかなって。やりたいことにこいつがパーンって来たって言うか。塗りつける行為も楽しかった。

家に居た時間も、百均しかないっていう制限があったからこそ、技法の面で進捗があったんや。

そうやね、前期は基本家でごくせん見て泣きながらこれやってた(笑)

嵐の話

キリスト教と嵐とを重ねたことで新たな技法の開拓に繋がっていったと思うんやけど、「そのふたつは結果的にちょっと違うかった」っていうところが気になって、どこが具体的に違うと思ったんかな。

嵐は生きてるし、おるし。っていうのとまあ、水を葡萄酒に変えるキリストみたいに奇跡は起こしてなくて、おんなじ人として好きっていうのもあるから、なんやろな、そこ、明確に言語化できひんけど違うと思って。

なるほど…。これは私が聞いた話やねんけど、聖書一冊とっても部分部分で書いてることが違ったりするらしい。それ聞いた時、みんなが見てるキリストは、無くなってしまった薄いものの中に人それぞれが自分の思いを注ぎ込んでいるものなのかなっていうふうに感じて。でも嵐は、こっちがどんなに注ぎ込んだとて、そこには戸籍のある松本潤っていう人間がいる、っていうところが決定的に違うのかなとは思った。

キリストは…平面だけなんよ。で、嵐も平面だけがこっちに見えてるところまでは一緒やねんけど、その奥にひとりの人間、普通の人として生活してる嵐がおって、それは絶対見せへん。アイドル・嵐としてのイメージをこっちに見せてて、うちらはそれを見るだけっていう。
平面上でみたら、キリストと一緒に見えるねんけど、違うのは奥に、普通の、人が存在してるっていうところかな。これ今はじめて喋れたわ(笑)

その、イメージへの感覚が、塗りこめていくとか、平面に押し込めて行くっていうニュアンスに繋がっていくのかな。キリストはもう、その向こうには立体はないから。

逆にキリストは出てくんのかも。平面から。そっからしか立ち上がってこないのかも。

2020年前期の学校の話

2020年前期の合評(作品の講評会)ってどんな感じでやってた?

最初のマジで家出られへんときは完全リモートでやってたけど、顔も見たことない新しい人がいっぱいいて(油画は学期が変わるタイミングで所属する研究室を変更できる。)、もともと落ち込んでたのもあるけど、そんななかで自分的にグデグデの作品を(笑)、発表するのが嫌すぎてつらかった。
あと、いままでは少人数で対面で、結構作品に対してズバズバ言っても大丈夫な雰囲気やったけど、顔も見たことない人の作品をズバズバ言って、この子が傷ついてしまったらどうしようっていうのがあって、それは、なんかちょっと、難しかった。家出れるようになってからは、リモートと学校で半々に分かれて合評するようになったけど。

作品展に向けて

作品展に向けて、考えていることなどあれば聞かせてください。

一番最近の作品が、嵐が明日も元気で過ごせますようにって祈りながら描くっていう、行為が目的の絵で。でも最近、もう嵐の話だけをするのはやめようと思っていて。
だから絵を描くことを通じて、嵐も含む自分の大事な人みんなの明日とか、今日よく眠れたらいいなっていうのを祈る行為っていうのをしていきたいと思ってる。

それに通じるのが、洋楽のわかりやすいラブソングとかの「You」やと思うねん。一番自分にぶっ刺さんのは、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」やねんけど。「そばにいてね」「大丈夫だよ」っていう歌に出てくる「You」を思った絵を描きたくて。「You」みたいな絵にしたい。

まっすぐな強い愛のような。

そうそう。「You」って誰にでも使えるし、どんな立場の人にも。

インタビュー:土屋 咲瑛

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